今日は青森大空襲のあった日

2020.07.28

75年前の7月28日から29日にかけて青森大空襲があった。

午後22時過ぎアメリカ軍のB-29  62機が飛来し、焼夷弾の投下をはじめた。焼夷弾はアメリカ軍が日本家屋を効率よく燃やすように開発した爆弾である。さらに今回投下された大量の焼夷弾は従来の焼夷弾に黄燐を加えた改良品であり、バケツリレーで消火しようとしても、水をかけると飛散する性質があるため効果がなかった。防空壕も役には立たず、防空壕で命を落とした人も多かった。劫火に逃げ惑う人々も多く命を落とした。

前日の27日。B-29が飛来し、大量のビラを撒いていった。ビラには「近日中に青森を含む日本の都市に爆撃をするので、避難するように」と書かれていた。しかし、憲兵隊や警察がこのビラを回収し、読むことを禁じたため、一部の人の目にふれるのみであった。人々は避難する機会を奪われた。

また7月14日、15日にはアメリカ海軍艦載機により青函連絡船の空襲も行われており大きな被害を被っていた。空襲を恐れた青森市民は山中や農村部に避難・疎開したのである。しかし、青森市は疎開により空っぽになった街では空襲の際には消火活動に支障をきたす、との判断から防空法を盾に取り「7月28日までに帰らなければ、食料や物資の配給を停止する」と発表、人々はやむなく青森市に帰る。そして28日夜を迎えた。

この青森大空襲のことを知ると、戦争というものの持つ狂気と異常性を感じるのはもちろんであるが、人災という点が指摘できると思う。人々の避難・疎開を妨げた軍および国家・地方自治体の命令により被害は数倍にも及んだと思われる。人々を誤った方向に向ける国家。勝利のためには何でもする、人の命は二の次。「それが戦争というものだ」と言えばそれまでであるが、戦時下という状況が人々を狂わせるのか。

私も75年前の青森大空襲はもちろん体験していない。我々の親の世代が経験した出来事である。私の青森に住む友人が青森大空襲のことを調べ始め、「自分の親が生きているうちに」、と聞いた話を私に聞かせてくれたお陰で、私も青森大空襲のことを知るようになり興味を持つようになった。若い人たちは青森大空襲さえ知らないかもしれない。我々が伝え聞いた青森大空襲のことを次の世代に伝えていかなければ、と思います。青森大空襲について知りたい方は青森市の「奏海(かなみ)」で詳しく知ることができます。(ちょっと古い写真ですが)

平和こそがすべての基本、私はそう思います。   294

 

 

 

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